夕方、たまりにたまった洗濯物を、自分のものだけたたみ始めた。
ご機嫌がいい時だけ。
昨日から娘が帰っていたので、少し癒しになったのだろう。
たたみながら、ソファでテレビを見ていた私に、素晴らしい講話を説き始めた。
かいつまんで言うと、西洋人と日本人の教育のここが違う という話し。
どこかで聞いてきたのか、たぶんテレビで放送していたのか。
子育てしている親ならば、1度は耳にしたことがあるだろうけど、
西洋人は自分の子を褒められると、
「そうなの、この子本当にすごいのよ!」
というらしいが、日本人はそうは思っていても、謙遜して、
「いやいや、そんなことないわ、お宅のお子さんの方が素晴らしいわ」
とたいていの親はそう答える。
奥ゆかしい日本人は古くから謙遜という文化があり、自分の子供が素晴らしいなどと、ひと前で、言おうものなら
(何よ!あの人、真に受けて)
などと、陰口をたたかれてしまうのが落ちだろう。
しかし、この謙遜の意味で言った言葉を子供はしっかり聞いていて、
(そうか、自分は駄目な子なんだ)と自己肯定感を失くしてしまうという。
「勉強しなさい」と言わなくても、自分から進んでする子供は幼少の頃からの親からのたくさんの良い言葉がけが力となり、自ら勉強しなくてはいけないと思うらしい。
「手遅れよ(笑)」
夫にはそう返答しといたが、その後言った言葉に、眩暈がしそうだった。
「本当に、言葉には気をつけなきゃあいけないよ、人を貶めるような言葉や、傷つけるようなことを口にしてはいけないよ」
飼っていた金魚が死んだ時には
「おまえが殺したんだ!」
と、小学生の息子を泣かしたり、
「おまえには鍵をあけるくらいの仕事しか能がない!」と、私に暴言を吐いたりするのは日常茶飯事のこと。
それで、どれだけ人が傷つき、悲しい気持ちになっているかなんて、わからない。最優先は自分の気持ち。
そうやって誰もが頷くような立派な説を唱える夫は、ドライブレコーダーのチップを抜いて確かめる夫とは別人格のようだ。
夫も自分はとてつもなく優しい人間であるかのように言う。
子供達の前でも、比較的、良い父親だったりする。
どんな人格なんだろうか。
そうやって切々と説法を説く時には違う人格が出現するんだろうか。
毒母も、そうだった。
父方の大嫌いな妹にそっくりな私を見て
「このぶす!」「不細工!」
とよく言っていた。
私はぶすなんだと、駄目な人間なんだと小さい頃思っていた。
なのに、
「世の中には言霊と言うのがあって、人から忌み嫌わるような言葉を使うものじゃ、ないのよ」
そう、切々と説きだす。
まるで別人のようだった。
「でも、あの時、お母さんは◯◯って言ってたじゃん!」
などと言おうものなら、烈火の如く怒りに任せて私を叱った。
自分が私に言ったことを覚えていないかのようだった。
夫もそんなところがある。
そんな酷い言葉をよく言うなあと、後になって聞くと
「そんな事を言った覚えはない!」と言い、
「おまえはそんな昔の話をずっと今になって言うなんて、本当に性格が悪い!」
と言われてしまう。
モラハラ人間には別人格が潜んでいて、何かのきっかけで、登場するのだろうか・・・・・・考えはじめたら眩暈がしてくる。
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