あすみとモラハラ夫との13000日

毒親育ち モラハラ夫 エッセイブログ

モラハラ母と同じ感覚の彼女


たくさんのアクセス、ブログをお読みいただきありがとうございます


今日、夢に亡くなった母が出てきました。
夢に母が出てきたのは初めてかもしれません。

亡くなったのは83才でしたが、夢に出てきた母は、ちょうど、私くらいの歳だったような気がします。相変わらず綺麗な母でした。

いつも母は、私は絶対着ないような地味な色目の着物を好んで着ていましたが、今日、夢に出てきた母は、綺麗なクリーム色に茶金の袋帯で綺麗に和風の髪にセットしてました。
母がお気に入りだった存在感のある飴色と茶色の鼈甲の簪を挿して、お花の会 なのか、お茶会なのか、一緒に出かける夢でした。

母は笑っていました。

「そんなこともあったわね、悪かったわね(笑)」

ブログを見て、そんなふうに思ったかも知れません。

笑っていたから (いいや)と、まだ、書けてない、マネハラを綴って行こうと思ってますが、今日は昨日の続きです。






彼女のお父さんは、辣腕弁護士だったようで、若くして芦屋の高級住宅街に一軒家を持ち、専業主婦のお母さんと、3才歳下の弟、それに、お庭の手入れをする人や、お台所仕事をする人、あと、秘書みたいな使用人もいて、とても豊かに育ったそうです。

f:id:hyumama:20200313171624j:plain

週末には必ず、家族揃って、近くのお洒落なレストランにお出かけしていて、クリスマスが近くなると、お気に入りの白いモフモフしたお出かけ用のコートを着るのがとても楽しみだったそうです。

そんなふうに使用人も抱えて豊かに暮らしていたのに、彼女が小学校1年生の時に、父親が急に家に帰って来なくなり、お母さんに理由を聞いても、「仕事が忙しいのよ」といい、雇っていた使用人もいつのまにか、家からいなくなり、豪邸に寂しく母子 3人の暮らしになったそうです。



彼女は、お父さんが大好きで、(今日はきっと帰ってくる)(今日はきっと帰ってくる)毎日毎日、父親の帰りを待ちわびて、何度も玄関の扉をあけて、帰りを待っていたそうです。

後に母親に聞くと、父親は、若い女性と恋仲になり、大きな家と引き替えに家族を捨てて、それっきり。

貯金を切り崩しながら生活をしていましたが、専業主婦だった母親は、一念発起して、看護師の資格をとり、生活を支えます。
母親は、「今からは、自分の力で生活ができるよう、資格をとるのが1番」
と、彼女を医学の道に行くようにすすめたそうですが・・・

「私、嫌って言ったの」

おっとりした彼女の性格からして、過酷な医療現場はちょっと想像がつきませんでした。

「私は絵や音楽が好きなの」

幼少の頃からピアノや油絵を習い、そんなことをして暮らして行きたいと思っていたそうです。

f:id:hyumama:20200313173657j:plain

でも、母親は「そんなものでは食べてはいけない!」とガンとして、とにかく小さい頃から「勉強」「勉強」と、ものすごく勉強させられたんだそう。


彼女は超難関国立大の医学部に合格しました。
そして、国家試験にも合格。
さて、いよいよというとき、見習いとして病院で働き始めた時に、手術室で、オペ中、流れる血液を見て卒倒し、気がついた時には救急のベッドに寝ていたそうです。



病院は3日で止めたと言ってました。

「私は母に嫌ってずっと言ってたの、私にはむいてないって でも、生きていくためには絶対に資格が必要なんだって言われてね・・・」


なんだか気の毒になりました。


でも、今は、縁があって結婚されて、さいさい海外旅行をして楽しんでいるようでした。
もともと、優秀な人なので、海外旅行した際に、語学力が必要と、それから独自で勉強に取り組み、何ヵ国語が喋れるようになったそうです。


そんなある日、ピンポーンと玄関のチャイムが鳴るので出てみると、彼女がセロハンで包んだ飴か何かのお菓子を5.6個 手のひらにのせて立っています。
その中のひとつは、セロハンが開いて中身がでている状態でした。

「こんにちは、何か・・・」

「あのね、この前、ミャンマーに遊びに行ってきたの。お菓子を買ったんだけど、今、食べてみたら、なんか、消しゴム食べてるみたいで(笑)私には口にあわないから、子供さんに食べさせてあげて」


正直、驚きました。
確かに4人子供がいて生活は大変でしたが、消しゴムを噛んだときみたいに美味しくないものを、うちの子供達だったら食べると思ったのでしょうか?

でも、玄関先の彼女はニコニコ顔でした。
悪意は感じなかったので、「はあ、どうも・・・」
とうけとりました。


テーブルの上に置いておくとまもなく子供達が帰ってきました。
「何?これ」

包み紙は綺麗でしたが、一部始終のことを伝えて、
「人にものをあげるときは、余ったものや、残りものを持って行ったらだめよ」

と、彼女の事を引き合いにだして子供達には教えました。


お菓子は捨てました。



また、別の日にピンポーンと彼女はやってきました。扉を開けると、今度はケーキの箱を持って立っています。

「あのね、これ3日前にもらったチーズケーキなんだけど、主人と2人でしょ、食べきれないからお子さんに食べさせてあげて」

そういって、またもニコニコしています。

「はあ・・・ありがとうございます」

そうは言って受け取ったものの3日前のチーズケーキを子供に食べさせられますか?



ニコニコしていた彼女からは悪意は感じなかったのです。
そんなことは非常識なことという認識は彼女にはなく、ひょっとしたらお母さんが余り物を雇っていた使用人に「持って帰って」とほどこしたら「ありがとうございます」ととても感謝して受け取っていた人達の顔がどこか焼き付いていて、とても良いことをしていると思っているかも知れません。

幼少の頃に、とても辛い経験をしてから、環境が変わり、それに心がついていかず、どっか、情緒が未発達のような気がしました。

人との関わりがあんまりなく、人との情緒の交換ができなかった、また、できる環境になかったのだと思いました。


母も幼少の頃には豊かな暮らしをしていたのに、戦争ですべてを失い、自分のことは二の次で、生活に追われ、人との心の交流や情緒を感じることのないまま大人になってしまったのかも知れません。

母も、買ってきた洋服を1.2度着ては、友達や親戚の叔母にあげてました。
もらった方は喜んでいましたが、そういうふうにして人の気を引いて、いい気分になっていたのかも知れません。
自分が一回着たものや、使ったものを他人様が喜んでいる・・・おこぼれを頂戴して喜んでいる下々のもの。母にはそんな感覚でいたかも知れません。

私もOL時代、母のお下がりの洋服をもらい、着ることがたくさんありました。



これが、母のマネハラの始まりです。