あすみとモラハラ夫との13000日

毒親育ち モラハラ夫 エッセイブログ

母から受けていた モラハラ マネハラ その背景 3 林さんという女性


母の葬儀の様子

「林さんは?林さん、何で来てないの?」

「ありゃあ 来んじゃろう」父は言った。



死期を悟って、ピンクの胡蝶蘭や白いカサブランカで飾った祭壇、会場やらをすべて自分で準備しただろう、母のお葬式。

たくさんの人がくると思ったのか、借りた会場は広過ぎて、振り返ると、ガランと誰も座ってない椅子だけが目立ち、座っているのは、父方や夫の親戚ばかり。

親戚以外は町内会長と、私の高校時代からのお友達、晩年にのめり込んでいた新興宗教の顔も知らないおばさんが3人。
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祭壇の写真は母が気に入って自分の部屋に飾っていた、父と新婚旅行に行ったときのもの。

「まるで女優さんみたことあるね」

と町内会長さんは言った。


母にとって、他の誰よりも、祭壇の前でお線香をあげてもらいたい人が2人、式の途中でも来るかと思ったが、2人とも来なかった。

兄と、そして林さん。

林さんという女性

林さんは、私よりひとつ年上の女性。


たびたび訪れる外商の人から、婦人服のお店の店長になるひとを探してると聞き、兄の大学の学費のたしにでもなればと仕事を始めたのは、私が大学に進学する前くらいだったか。
母子家庭で育った林さんは、高校を卒業してすぐに事務員として働いたが、(もう少し違う職種についてみよう)
そう思ってついたのが、婦人服の販売。
たまたま、母が店長になった時に、一緒に採用されたらしい。明るくて、でも年齢の割には落ち着いていた。

私が仕事の帰りにお店に立ち寄ると、ちょっとおもしろくないくらいに母と林さんはペチャクチャ喋って仲が良かった。

そうするうちに、年頃の林さんは、水産業を営む男性との縁談の話しが持ち上がり、(どうかねえ)と母にも相談していたそうだが、お付き合いを重ねるうちに、どちらも気に入って結婚して仕事を辞めた。

結婚式にも呼ばれ、その年末も採れたての鮑やさざえの入った大きな箱を持って、私の実家に2人揃って挨拶にきた。「私、面食いなんよね~」と言ってたけど、浅黒くて彫りの深い男性、ちょっとおとなしめで口数が少なかった。ぼくとつな感じが良かった。



「活きがいいから、お正月にお刺身で食べてね」
いうとおり、
さざえも鮑も活きがよすぎてなかなか、殻からはがせないほどだった。

林さんは、結婚して仕事をやめてからも、たびたび家に遊びにきたし、母も林さんに目をかけていた。


私が結婚してからは、林さんと直接 会うことはなかったけど、たまに電話をすると、
「林さんとこ、子供が生まれたんよ」
と、まるで孫でも生まれたかのように嬉しそうに電話口で話した。


婦人服店の店長をやめてから母は、仕入れ業者や大手客を取り込んで、自分の家でサロン風のお店を始めてしまった。

あの時、中に立ってお世話をしてくれた人達の面子をつぶしたが、そんなのは母はおかまいなし
「嫌だったら買わなきゃいいだけの話し、実力の世界よ」

そういい切った。まったく母らしい。


大手客を取り込み、当時、ありきたりのお店に飽きていた顧客たちは、隠れ家みたいなサロン風のお店が気に入ったのか、暇をもてあましている有閑マダム達が、洋服を買うと言うよりは、ペチャクチャお喋りしにやってきた。

素人の始めたお店など、そうは流行らないだろうと思っていたが、お店は繁盛し、「お母さん凄いよ」と教えてくれたのは、お客の1人でもあった義母だった。



林さんは子供を連れてよく遊びにやってきたようだったけど、子供の手が離れてからは少しパートにも出ていっていたと言う。
そして相変わらず、ちょくちょく母のお店に遊びに来た。
忙しい時には、以前、お店の店長さんと従業員だったように、お洋服を白い薄紙で丁寧に畳んで、お店の名前の入った光沢のある黒い紙袋に入れる作業を手伝った。



過酷な子育ての果てに

お店が繁盛し、いろんな人が友達を連れて訪ねてきて、母は楽しかったし、やりがいも感じていたんだろうと思う。
私の1人めの里帰り出産で、実家に帰っていた時には、赤ちゃんが珍しくてそれなりに世話もしてくれたけれど、2人め、3人めも4人めが生まれた時も、始めたお店が楽しく、

「行か~ん」

と言って手助けしてくれなかった。

誰かに雇われているわけでもない、趣味で始めたことなのに、1週間のおやすみくらい、いくらでも取れそうなのに、娘が困っているのにと、信じられない思いだった。


私の窮地を察して、義母がお手伝いにきてくれた。
朝、昼、晩と食事を作ってくれて、
「あすみさん、寝てなさい」
と、掃除や洗濯、上の子供達の世話も義母が力いっぱいやってくれて・・・
我が儘放題な夫に育てた義母ではあるけれども、私はこの時のご恩を一生忘れることはない。


過酷な子育てで、いつが朝かいつが昼か、夜かわからないほど目まぐるしく時間が過ぎた、1番下の子供が、まだ、母乳が必要な2ヶ月の赤ちゃんだったとき、私の体が壊れた。

おむつを変えようと子供の頭の上にあった紙オムツに手を伸ばした瞬間、激痛が走った。
「ああぅ!」
とも何とも声にならない叫び声

2、3日前から、腰を変に曲げた状態じゃないと、お洗濯物も干せないし、着替えさえできない状態、
過酷な家事と育児で、腰に激痛が走り、そのまま動けなくなってしまった。

上の2人は学校と幼稚園に。
2ヶ月の赤ちゃんと、最近、家の中を走り回るようになった2才の子供。

(誰かに連絡しないと・・・)

赤ちゃんはお腹が空いて泣き出したが、もう、どうにも動けなくなっていた。焦った。
「ねえねえ、あっちゃん~あそこの電話とれるかなあ?」

それは、固定電話の子機。
最近 イタズラ好きの子供達がピッピッと触ってイタズラするので、手が届かないように、アップライトピアノの上においていたのだった。

子供は早生まれでやっと2才になったばかり。親の言ってることはわかるけど、まだおしゃべりはできない。

「あれ!あれ!あっちゃんの好きな電話!取れる?」

上手にあやして言わないとヘソを曲げて座って泣き出しでもしたらアウトだ・・・

(電話さえ、取れば・・・)

あっちゃんはピアノの横のテレビ台の上によじ登って、背伸びをして子機を掴もうとしていた。

(ああ、ここで滑りでもしたら・・・)

そう思いながらも、顔は笑って
(偉いね~取れるかな?取れるかな?)

と褒めそやした。


子供は子機を掴むと、どうだと言わんばかりに自慢気に私のところまで持ってきてくれた。

(すごいね~偉かったね~)とたくさんたくさん褒めてあげると、すぐに、同じマンションに住むお友達に電話をした。


お友達がすぐに駆け付けてくれた。いつもは玄関の扉をロックしているのに、この時ばかりはロックしてなくて、マンションのみんなが駆け付けてくれた。
1人は泣き叫ぶ赤ちゃんにミルクを作って飲ませ、1人は2才の子供と遊んでくれた。

夫にも電話をかけてもらい、会社から帰ってきてもらったが、動けなくなってしまってはなす術がなく、救急車を呼ぶことになり、大きな病院に救急搬送された。


次に続きます



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