今まで、何か賞をとっても、音楽コンクールの伴奏になっても、さほど喜ばなかった母が、金融関係の会社に内定したときは、見たことないくらい大喜びした。
卒業3週間前のギリギリの内定。
就職指導室の先生が、
「積極的なあなたが、何で残っているのかよくわからない」
と、百貨店を薦めてくれたけど、母が
「土日休みじゃないし、給料が安い」
と反対した。
金融はその時代、勢いがあり、また他の業種よりもお給料が格段に良かったのだ。たまたま最後の最後に求人が来て、面接と学科試験で採用になった。
「家にお金を入れるのよ!」
何度も何回も聞いた。
同僚も家には30000円いれていると聞いたので、私もそうしようと思ったが、
「あすみが結婚するときには いくらかかるかわからん」
と、不服そうに言うので
「50000円くらい?」
というと、
「まあ、そのくらいはもらわんとね」と言う。
家に50000円入れると、最初のうちは手元に48000円しか残らなかった。アルバイト料の方がまだ多いくらいだ。でもしようがない。
母や、母のお友達の話を聞きかじっても、結婚するときには、とてつもないお金がかかる雰囲気だったから。
会社はアットホームな雰囲気。
厳しい先輩は苦手だったけど、会社だからそんなもんだろう。
松田聖子ちゃんが火付け役になったハマトラファッション。
表参道の大学に通っていたゆみ子が、頼んだクルーズのトレーナーを買ってきてくれた時は、本当に嬉しかった♪
クルーズのトレーナーや、ボートハウスのトレーナーはそのお店でしか買えない。
当時 行列して買ったみたい。
それに、ハイソックスをはいて、横浜のミハマの靴や、ノーブランドのチェックの巻きスカートで、流行りのハマトラファッションが出来上がる。
学生時代はお金もなく、そこそこ似せて出来上がったスタイルも、東京から帰省してきた男子大学生が
「なあんそれ、偽もんやん」
と冗談を言って笑っていた。
『偽物』と言う言葉が妙に引っかかったが、ここまで、仕上げるのに、かなりのお金と時間を費やしていたので私はそれなりに満足していたし、家に食費を入れると飲み会などの出費もあり、手元に残ったお金では、洋服まで回らなかった。
「そんな格好で会社に来ないでよ 学生じゃないんだから」
ひとつ上の先輩がロッカールームで着替える私にそう言った。
(え・・・)と嫌な気分になったけど、考えてみると、もう自分は社会人。
「そんな格好で来んでって言われたよ」
母は「そうかもね」と笑い、自分が1度2度着た洋服を
「これ着ていく?通勤着にすれば」
と、スカートやブラウスを私にくれた。
トレーナーとぺらぺらな巻きスカートよりはましと
母からもらった洋服で通って暫くするとまた、その先輩はロッカールームで
「佐藤さんてどんなとこで洋服買ってるの?何でそんなおばさんみたいな洋服着てくるん」
何かとても傷ついた。
いや、本人に言うのは余計なことかも知れないが 、先輩の言うことは当たっていた。
もう、ずっと前から、中学生の時も高校生の時も、春子が
「ちょっとおかしくない?」
って私の格好を見てそう言っていた。
『へん』『偽物』『おかしい』私を形容する言葉の羅列にとてもナーバスになっていた。
家の住宅ローンは私が、高校生の時に
「やったあ!終わった~」
と母は喜んでいたし、兄の大学進学と同時に外で働き始めたし、母は習い事もしていた。
私が50000円も食費を入れなくてもいいんじゃないかと思うくらい、困った風には見えなかった。
私が働きはじめてから食費として50000円入れるようになってから、家に帰ると和室にあったサイドボードが母の好きな民芸家具に変わっていた。
「どしたんそれ」
「買ったのよ~古かったからねサイドボード」
母は満足そうに笑って、柔らかい布で家具を撫でていた。
それから毎週水曜日の休みになると、母はその頃夢中になっていた高級和食器のお店に入り浸っては、毎週 和食器を買って帰ってきた。
「ええ?また買ったのお?」
「いいじゃん」
「お金大丈夫なん」
そう聞くと悪びれるふうでもなく
「あすみがよく働いてくれるからね~」
と言うから「ええ~っ」と嫌な顔すると、決まって
「あすみが結婚するときには、全部こっちがせんといかんのに、なんかね!」
と不機嫌になって終わった。
*あすみがパンドラの箱を開けるまであと3話