あすみとモラハラ夫との13000日

毒親育ち モラハラ夫 エッセイブログ

母から受けていたモラハラ マネハラ その背景


モラハラを受けているのに、それをモラハラとわからなかったのは、実家にいた時の母から受けていたモラハラとマネハラがあったからだと思います。

厳格な実家の躾は、後から考えると、それは『躾?』ではないでしょう。と思えるものでした。

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私は家がとても居心地悪くて好きではなかったです。

(いや、これは楽しいはず)と自分自身、言い聞かせようとしたところがあります。また、昭和という時代背景もどこかしらあったのでしょうか。



皆さんはどうですか?
子供時代に、親と一緒にたくさん遊びましたか?

戦後の復興、高度成長目覚ましく発展していった日本の国、男は脇目もふらず働き蜂となり、家を守る奥さんは、内職をしながら子育てをする。きっと多くの家庭がこんな感じだったのではないでしょうか

母が生まれた時代

母が生まれた家は海産物の卸売業を営んでいたそうです。
何人もの使用人を抱えて営んでいたお店は繁盛し、2階に上がる階段に備え付けられていた小引き出しには、いつもはみ出るくらいのお札があったとか・・・。
戦争が始まると、やがて、父親は兵隊に徴集され、戦地に赴くと、商売は傾き、やがて太平洋戦争がはじまります。
祖父は、唯一の陸上戦となった沖縄の地で戦死、
海産物の卸売の店は戦火で焼け落ち、残された家族4人、生きるために必死だったといいます。

母は4人兄弟の一番上で、まだ、弟たちが生まれてないときに、写真館で撮ったという家族写真が、父親と撮った、たった1枚の写真になったとか。
アールヌーボー調の丸い背もたれの椅子に、舶来のお人形を抱っこした母の幼少の写真は、とても可愛く、また、その様子が豊かだった家の雰囲気を醸し出していました。

母は黒の台紙に貼られたその家族写真を大事にしまっていましたね。

その写真でしか見たことない祖父は、日本人離れしたくっきりした目鼻立ちで、今の時代にも、きっと二枚目俳優で通用しそうなほど、男前で、母は祖父にそっくりでした。

勉強はよくできたのに、3人の弟達を学校に行かせるために、働くことを余儀なくされた自尊心の高い母は、後に、(この時ほど悔しい思いをしたことはない)と言っています。
母の人一倍の負けん気の強さや、努力を続けるみなぎるような力は、こうした背景から生まれたのだろうと思います。


生きるためになんとしてでも『稼ぐ』
そしてお金に対する執着心はこの時から始まったんだと思います。

母が結婚してから

母は結婚する前は、町の郵便局で働いていたそうですが、結婚してから子供が生まれるまで、手先の器用さを生かし、洋裁を習いにいったそうです。

今は既製品の洋服が普通ですが、当時は、布から裁断して洋服を仕立てるのが主流、
すぐに上達した母は、家で洋服の仕立てを内職にしました。

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幼稚園で知り合ったブルジョアな奥さんや、代議士の奥さん、友達から友達へ、仕立ての良い洋服を作る という噂を聞いた人達が、友達に連れられて、母を尋ねてやってきました。
お落ち着くためにお家を建てたこともあり、ローンを、兄が大学に行くまでに返済したいと、土日もずっと家で洋裁をしていました。

母の印象は洋裁台に向かう背中です。

いつも忙しくしていて、何かしら不機嫌で、背中に話しかけるのを躊躇するほどでした。
だから、私は母と遊んだ記憶があまりありません。

幼稚園や学校から帰ると、ひとつ上の真理ちゃんという女の子とお庭で遊んだり、兄も交えて近くの公園に行ったりしていました。
今と違って、公園にいけば子供達がたくさん集まり遊んでいます。
遊ぶのは同世代のお友達、そう思っていましたし、それがごく一般的だったかも知れません。

ひとつ上の真理ちゃん

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近所に住むひとつ上の真理ちゃんの家はけっして広いとは言えず、あっちもこっちも物が積み上げられ、埃をかぶっていました。
遊びに行くと、恐い顔して、白い割烹着を着た背の高いおばあちゃんが出てきて、孫の面倒をみるのが、めんどくさそうな雰囲気、それなのに、私が行くと騒々しさが増していたからか、あまり良い顔をしなかったです。


真理ちゃんのお父さんは、車庫に車を入れて出てくるその姿が背が高くて格好いいなあ と子供ながらにいつも思っていました。
お休みの日には、ヒラヒラと裾が揺れるワンピースに白い麦わら帽子、ちっちゃなバスケットのバッグを持ち、時々、「お母さんに買ってもらった」というスカーレットちゃんのお人形を手に大きな車から降りてくると、いつもは一緒に遊ぶ真理ちゃんだったのに、時々見かけるその姿が眩しく映り、どこか羨ましかったのです。

後に知ったことですが、真理ちゃんの家は資産家でした。
住んでいたのは病弱なおばあさんを看るためで、何年かして亡くなると、真理ちゃんが中学校へ上がるのを期に、もともとあった家に引っ越してしまいました。





私の家では家族でどこかに泊まりで旅行に出かけた、というのは、1度きり。だからよく憶えています。
それも、父と母が仲が悪い時だったので、子供ながらに、(これっきり家族が離ればなれになるかも・・・)と不安を憶えてましたから、楽しい旅行ではなかったですね。

父も母も戦争で親を亡くし、戦後の動乱の中、生きていくのに、必死だったのでしょう。
絶対に負けない、絶対にのしあがってやる、そんな母は、旅行などでお金を使うのが嫌だったんだと思います。



次に続きます