あすみとモラハラ夫との13000日

毒親育ち モラハラ夫 エッセイブログ

母の究極のマネハラ


「お母さん、私、留学したいから、今からお金をためる」

そうすると、母は「はあ?」と眉間に皺を寄せて とても不機嫌になった。

「歳はいくつだと思ってるの!早く結婚しないと行き遅れるでしょ!」

あの頃は女性はクリスマスケーキと言って24までなら貰い手があるが、25になってしまうと、誰も見向きもしない というような都市伝説にも似たジンクスが浸透していた。


「ゆみ子も、成美も親に留学費用を出してもらって行ってるのに、私は自分で出すって言ってるの!止める権利なんかないでしょ!」

私は兄と違って、意見があったらはっきり言った。
だから余計に可愛くなかったんだと思う。

大抵、口のうまい母に言いくるめられて終わることが多かったが、『親に対して意見を言う』は、モラハラの人にとっては、

『歯向かっている』

『命令してる』

と捉えられるんだと思う。異常に騒ぎ立てた。


「出ていくんだったら、たて替えてる着物代 全部払って行ってよ」

「私は欲しくないのに、勝手に買ったのはお母さんでしょ!」

それから始まって、
「たて替えた保険代も、あの時、あすみにあげた洋服も 全部払ってから出て行って」と言われた。

「え?あの洋服くれたんじゃないの?」
「誰があげるって言った?まだ着ようと思ってたのに、あすみが欲しそうにしてるから、半分払いなさい!早く!」


そうしてことあるごとに、今まで母が
「これ着る?着るんならあげるよ」
と私にくれた洋服をお金に換算して
「早く払って!」
と要求した。高い洋服ばかりで半分でも2万3万と高額だった。

食費に加えて、クリーニング代 、電話代、 着物代、保険代、母にもらった洋服代と、母の要求は度を越えていたが
「払えないんだったらすぐに出てって!」すごい剣幕で騒ぎたてた。
もらったボーナスで言われた金額を全部 払ったら今度は
「今まで私立の学費を置いてって!」
と、父がいないことで母は暴走してしまったかのようだった。
気でも狂ってるんじゃないかと思った。



母はなんとしても、私の留学の夢を壊す気だ。

私は母にとって、よく稼いできて、使うに都合の良い良い働き手であった。『逃がしたくない』ただそれだけ。
娘なのに、娘の夢や希望など、はなからどうでも良いのだ。
それは、兄も一緒。
できるだけ近くに繋ぎとめていたかっただけ。

(負けるものか)そうした闘争本能が芽生えてきた。


このことを教師をめざして地元の大学に3年生から編入した あの美しい慶子さんに相談した。

「お母さんも、もう少しあすみのこと尊重してくれたらいいのにねえ。・・・留学かあ・・・留学もいいわね」


その相談をしてから2ヶ月もしないうちに、慶子さんは大学の交換留学制度を利用して簡単にカリフォルニアに行ってしまった。

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周りの友達は、家族のサポートで次々 夢や希望を叶えて行くのに、どうして私は自分で歩みだそうとするだけで、スカートの裾を踏まれたみたいに動きだせないのか、家というしがらみ、親というしがらみから抜け出したくてしょうがなかった。