あすみとモラハラ夫との13000日

毒親育ち モラハラ夫 エッセイブログ

モラハラ母のいた家

スポンサーリンク

はじめに

どうして私が母にも夫にも精神的な大人の嫌がらせ(モラルハラスメント)を受けるようになったのか、思い出しながら、生い立ちを綴っています。


読者の方から、「モラハラを受けながら、どうして堪えてこれたのでしょうか?」という質問をいただいてから、それは私の生い立ちにあると気づきました。

25歳の年まで実家にいましたが、縛りや締め付けがきつく、ほとんど『躾』という名の母の都合で振り回された生活だったと思っています。



昔のことなので、記憶も曖昧、その全てを書くことは、なかなか難しいのですが、ひとつひとつ思い出しながら書いてみようと思います。

f:id:hyumama:20200220182804j:plain



とにかく『縛り』や『締め付け』が多かったのです。
見たいテレビは1日30分以下で7時まで。7時からは大人のテレビの時間
冬場の門限は5時、夏場は6時 外泊禁止
お小遣いは月に300円 高学年になった5.6年生の時には500円だったかも知れませんが。


① 親の言うことは「はい」と言ってきくこと

② 不平不満を言わない

③ 欲しがらない

④ 辛抱する

お小遣い300円の中から学用品を買わなくてはならなかったので、ノートや消しゴムは大事に使いました。

育ち盛りなので、お洋服も次々いりそうですが、今の子供と違って、買ってもらえるのは1年に1度

これもきっと、祖母が「あすみにお洋服でも買ってあげなさい」と言われて買ったもののような気がします。

ですので、私の洋服はほとんど誰かのおさがり。

ピアノ発表会の時には、母のお手製のワンピースが着られてとても嬉しかったです。

兄と真理ちゃんと一緒にモンテッソーリの幼稚園に通っていました。
f:id:hyumama:20200221234213j:plain

モンテッソーリとは⬇️⬇️⬇️
モンテッソーリ教育ってどんなもの?保育園・幼稚園の特徴や教育内容をご紹介!|ベネッセ教育情報サイト

幼稚園なんて、もう何十年も前のことなのに、私はこの幼稚園でのことをよく覚えています。

上履き入れや、お弁当を食べる時にお弁当の下に敷くナフキンも、母 手作りのものでした。
ここの幼稚園では、市販されているキャラクターのものではなく、親の手作りが重んじらていました。

手作りは母の得意分野です。

兄の上履き入れは辛子色の生地に黒×白のチェック柄やピンク色やもうひと色は忘れてしまったけど、きっと家にあった余り裂で作ったのかな、風船が飛んでいるアップリケのもの、私の上履き入れは赤紫色の地にベージュやピンクの色糸で、可愛いひよこやお花が刺繍されたもの。

ナフキンの角には赤い苺の刺繍、お弁当を広げる度に、その可愛い苺の刺繍を見ながら、(私のナフキンが一番可愛い!)
そんなことを思いながら見つめて食べていたことを思いだします。

お母さんは綺麗で何でも上手で、私はまだこの頃は無条件に母のことが好きで慕っていたのだと思うのに・・・


彼女は喜怒哀楽が激しく、私は幼い頃から母の顔色を窺ったり、機嫌を損ねないようにすることに一生懸命だったような気がします。


それはどんどん酷くなっていく一方でした。




次に続きます