あすみとモラハラ夫との卒婚生活

モラハラ夫  卒婚生活 カサンドラ

母から受けていたモラハラ マネハラ その背景 5 母からの電話


あれから1年余り、私達家族は夫の転勤に伴い新しい土地に引っ越してきた。

マンションのお友達には子供達のことから、日頃のお付き合いに至るまで、本当によくしてもらって、名残惜しい別れだった。


でも、生活は前に進んでいる。
新しい小学校に新しい幼稚園。どんなところに毎日の食材を買いに行くのか、子供達に遊び相手ができるのか、土地に早く馴染みたいという思いになった。

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そんなある日、実家の母から電話がかかってきた。

私から電話をすることはあっても、母からかかってくるのは珍しい。
いつものことだか、電話では、「こんにちは」や「元気かね?」などの挨拶もなく、いきなり用件から話しだす。

「たらいで漂白しようと思って浸けといたシーツをね、洗濯機の方に移そうと持ち上げた拍子にね、あ痛痛たあ~ってぎっくり腰になってからね・・・」

「ふん、そりゃ痛かったね」

「歩けんようになって、トイレまでいくのに、廊下を1時間半かけて、はって行ったんよ」

「ふん ふん」

「ご飯が、作れんくなってね、お弁当とって食べてるんやけど、冷たくて美味しくなくてね」

「お弁当じゃあねえ」

「トイレに行くのにもそんなに時間がかかってから・・・」


いつも、甲高い声で、たたみかけるように喋る母もこの時ばかりは、トーンダウンしていた。

1年前に、私自身、病院の先生や看護師さん、子供達を義母やマンションのお友達に見てもらってなんとか歩けるようになったばかり。


トイレはナースコールで看護師を呼んでとってもらっていたが、看護師は手慣れたものだ。

1時間半も廊下を這うより、よっぽどいい

「そりゃあね、病院に行くのが1番いいよ、おしっこ、看護師さんちゃんととってくれるし、食事は温かいものが出てきて、看護師さんが食べさせてくれるよ、病院が1番いい、入院、入院、入院が1番」


そうすると、期待していた返事じゃなかったみたいで、暫く電話の向こうで、「はん」とも「ふん」とも取れないような口ごもった様子でいたが、その時、はたと、何でそんなふうに電話してきたかに気がついた。

母は「私の面倒を見に帰ってきて」と言いたかったのだ。


それに気がついて、はっきり言った。

「私は帰れないよ!こっちの生活があるのに!私が帰ったら、誰が子供達の世話をするの?また、義母さんに頼むようになるじゃない、具合が悪ければ病院にいけばいいんよ」


「遠くに(嫁に)やったばっかりに・・・」

と電話を切った。


2人め、3人めと子供が産まれて大変だった時も、産後の手伝いもなく、入院した時も「大変だったね」の母親らしい言葉のひとつもなかったのに、自分が窮地になると、私を便利に遣おうというのがみえみえで、とても腹立たしくなった。


私を使用人かなんかと勘違いしてるんじゃないかとさえ思えてきた。

その後、入院したのか否かは、あえて聞かなかった。
病院代や交通費代を出すのが本当に嫌いな人なので、どうしたかなあと、ちょっと気にはなったが・・・。




その年のお盆休みに帰省した時には、いつもの母に戻っていたが、「病院行った?あの時」と聞くと、母はどうやら、林さんを呼んだみたいだった。

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林さんだって、まだ子供さんが小さく自分の生活でていっぱいの筈・・・


「食事も作ってくれてね、車椅子を押して病院にも連れてってくれて、本当によくしてくれてね・・・」

「良かったね」

長い付き合いとはいえ、林さんも、そんな母の世話までするとは思ってもなかっただろう。
でも、それはきっと、うちの母から電話をもらって、(ああ、それは大変!)と林さんの善意でしてくれただろうということ。
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今までも仲の良い2人だったが、その事があってから絆が深まりますます、親しくなって行った。

 

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