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母から受けていたモラハラ マネハラ その背景 7 引っ越し


15年ほど前になる。

夫は長男で、地元に家もある。
子だくさんでは、ゆくゆく教育資金もかかってきて、とても大変と、マイホームをもつことなど、考えてはいなかったのだけど・・・

とにかく、住んでいた社宅が山の上にあり、また、一番長い時間を過ごすキッチンに冷房がなくて、安普請の台所は夏には40度になった。

夫は一日中エアコンの効いた会社で仕事をし、晩酌すれば、2階の冷房の効いた部屋でテレビを見ながら寝れば良かったが、私の方はただでさえ、過酷な子育てに、毎日の暑さで熱中症になりそうで、「引っ越ししたい」と夫に提案してみた。

「この前ここに越してきたばかりじゃないか」

夫はムッとした。

確かにそうだった。以前住んでいたところから、夫の転勤でこの社宅に越してきたのは、まだ一年半まえ


昼寝している子供の傍らで、窓の外の枝振りの良い栗の木をぼーっと見上げて(ここに縄をかけたら楽になるかも・・・)
と、正常な思考能力さえ損なわれつつあり、もう限界を感じていた。


それから子供達が学校や幼稚園に行っている間、1才になった子供を車に乗せて、家探しが始まった。



夫が賛成ではなかったので、新築は考えなかったが、何でもいい。とにかく今のところを出よう。

何軒、不動産を尋ねて何軒、家を見に行っただろうか。
土、日も目星をつけた家を夫とともに見てまわる日が続いたが、「いいな」と思えば、駐車場がなかったり、「広いな」と思えば、側溝が深く、小さな子供達を育てるには、環境が思わしくなかった。

何の気なしに住宅メーカーに電話をしたことから、
とんとん拍子に新築のマイホームを建てることになる。
そう決めると不思議なことに、資金繰りのことや、何やかや、あらゆる環境が整い始め、私達、家族は
やっと自分の家を持ち、落ち着くことになった。




家を建てるにあたって1番の関門はやはり資金のことだったが、僅かな財形貯蓄に、貯蓄していた企業年金がおりてきたこと。そして、夫が異例の昇格をしたことで、予算以上の賞与が振り込まれことで、なんとかこぎつけることができた。

年金暮らしのお姑が、なけなしのお金を「少いけど使ってちょうだい」と、私達にくれた。
お姑は、ここぞというときに、いつも助けてくれて、感謝してもしきれない。


「あすみのとこにもローンを組むのに少し貸してもらえんかなあ」


母のお店も繁盛し、そして、ちょっと前から親戚や友達に新興宗教の布団や壷を売り、
「今までで、こんなにお金を持ったことないわあ」

と自慢げに言っていたのは、つい、2、3ヶ月前のこと。

「お金はたくさんあるだろうけど、うちには借りん方がいいよ、たぶん」

「冬の賞与で返済するよ?」

「いやいや、借りん方がいいね」

話しを聞いていたお姑もそう言った。


半年前に「こっちで家を建てることにしたんよ」
と伝えた時だって、母は「ふうん」

とだけ返事して終わったのだ。

普通の感情なら、
「ええ?お金あるの?」「今から学校にお金がかかるよ?」とかちょっと心配しても良さそうなのに。


(こっちには関係ない)

と思ったか、

(2人して頭を下げにきたら貸さないこともない)

きっとそんなところだろう。


その年の末には新築のマイホームに引っ越しできた。気持ち良く新しい年が迎えられそう。
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昔住んでいた借家と違って、ペアガラスの家はとても暖かかった。
そんな時、うちの父から電話があった。


「家を建てるって言ってたがどうなったかね」

「もう、建てて引っ越ししたよ」

「そうな・・・」

都合の悪いことは、いつも父に変わって電話をよこす。
いつになったら、2人雁首揃えて頭を下げに来るのかと母は待っていたに違いない。
たっぷり嫌みを言って、お金を貸そうとでも思っていたのだろう。



年末に義姉のお舅が急に亡くなった。一人っ子の義兄で、親戚も多く、働いていた義姉はきっとおもてなしで大忙しだったと思うのに、そんな中でも
「ごめんね、あすみさん、まだ新築祝いあげてなかったから、今日送ったからね」

と電話があった。こんな忙しい時にと思ったが、次の日には紅白の熨斗に入ったお祝い金が届いた。

新しく建てた家は、何かと要りようも多く助かった。

そんな時、また父から電話があった。

「祝いやっとらんかったから、振り込むわ、銀行振込先を教えてくれ」
「あ、そう?ありがとうね」
「わしらあ、年金暮らしで金がない、10万ほどな」

「ありがとうね」

2人揃って「お金を貸してください」と頭を下げにくるかと思ったら、さっさと家を建てて引っ越ししてしまった私達に、お祝いなど考えてもなかったのに、やらないわけにはいかなくなって、都合の悪いことは父に言わせて、お祝いと言って銀行にふりこんできた。


どう考えても独り身の母より、父の年金や、商売で築いたお金がある筈なのに、

「わしらあ、年金暮らしで金がない」

などと、父に言わせる母の常識とは一体どうなっているのだろうかと。

「幸司さん、ごめんね」

きっと少しは期待もあっただろうに、お姑や夫に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


年が明けるとすぐに、母がお祝いをやると電話してきた。

商売で年末資金繰りがつかなかったんだろうかと思ったが、
「布団を送ってやるわ」と。

布団とは、親戚や友達に売り付けている新興宗教の品物だ。

「いらないからね!みんなうちはベッドにしたから
あげおろしが面倒で引っ越しのときに、全部棄ててきたんだから!、本当にいらないからね!」

「人がお祝いでやるって言ってるのに、何言ってるの、失礼なね!」

・・・と、モラハラな母はいつも人が、どう思っているのかとか、関係なく自分の思いだけを押し付けてくる。
こんなことが繰り返されてきた。


母は財産を築いたように見えたが、この後、そんな良い事が長く続くはずはなかった。

 

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