自宅からアパートに戻ってきました。
父のところに食事を運んだり、買い物をして自宅に戻り家族の晩御飯を作ったり、忙しく過ごしましたが、子供達が帰ってくると、賑やかで笑い声でいっぱいで、お盆休みは楽しかったなあと思います。
コロナでなければ、帰郷し、お墓参りもしたと思いますが、お姑さんも年齢をかんがえてこの度は見送りました。
モラハラ夫は「9月で仕事止めるからなっ!」と言ってました。
「ふ~んそお」
モラハラ夫の発言はその時の気分次第。
この「止めるからなっ!」
という発言にどれだけ振り回されたことでしょう。
あの時私立大学の学費が2年残っていた時でした。
「どうやって生活するの?生活できないよ?」
「知るもんかっ!学費はおまえがもらったお金で払えばいいだろう!夜も働けよ!」
この日から無視が続き、私は金策に奔走して夜も寝られなくなり、ストレスのせいか、歯が4本割れたり折れたり、とうとう、この若さで入れ歯になってしまいました。
夫がモラハラだとは知っていましたが、常識は理解していると思ってましたが、モラハラ人間は常軌を逸失ていて、普通の思考回路ではないことを、この時あらためて知ることになり、保険のためにブログをかきはじめました。
最初は怖くて不安でいっぱいでした。
こんなことを書いてる私自身が狂ってるんじゃないかと思いました。
でも、アパートで暮らしたいことを息子に相談したら賛成してくれて、
また、この度、お盆で帰ってきた子供達も、自己中な父親に
「離れて正解よ」と言ってくれました。
「いつからあんなになったかねえ?」
「前からだけど、定年する頃からかね」
「ヤバイね」
「お母さんいつまで働くの?」
「働かないとアパートに住めんからね、定年まで働くよ」
「定年した後のことを考えとかんとヤバイね」
「・・・・・」
娘も息子も束の間のお盆休みでの父親の様子で、これは大変と思ったのでしょう。
自宅で暮らしていた頃は孤独でしたが、アパート暮らしの今、たくさんの味方をつけて孤独ではなくなりました。
アパート暮らしのお陰で、モラハラ夫の手榴弾や毒矢から逃れて安心、そして安全な生活を送ることができています。
私は自宅が好きなのに、モラハラ夫のいる間は自宅で暮らすことができないのです。
「小さい頃に、おばあちゃんに甘やかされて、周りの大人が誰もお父さんのこと注意しなかったんだろうね」
娘が言いました。
私がずっと思っていたことです。