今日は息子が夕飯いらないとLINEしてきた。
とくに力を入れてはないが、いらないとなると、ひとりだったら何でもいいので気が楽だ。
夫と暮らしていた時には、買い物の時からすでにドキドキしていた。
(今日は何を作れば怒らないだろうか)
(取り合わせはいいだろうか)
(グラムいくらか聞かれたらすぐに答えられるようにしなくては)
今はそんなこと考えなくていい。
好きなものを、食べたいものをグラム計算せずに買えばいい。
あの環境が普通じゃなかったのに、
「我慢が足りない」
「あすみさんは幸せよ」
お姑に何度そう言われたことだろう。
全く噛み合わない夫と夫の家族。
そんな中でも、4人の子供達が、自立するまで頑張ってきたんだから、もう、自分のことを考えていいんだ。自分を大切にしよう。
同僚とお昼におしゃべり。
4人子供がいるというのが共通項。
私より一回り若い彼女は、末っ子がまだ小学生だから、まだあと10年はある。
大学で家を出た長男には厳しくあたったらしい。
「上の子は子育てやり直したい。厳しく言うばかりでね、もっと遊んであげたら良かった」
それは私も一緒よと伝えた。
みんな『お母さん』をするのははじめて。
言うとおりにならない娘に辛く当たった。
可哀想に。
「今だったらもっとおおらかに接することができるのになあ~下の子なんか、全然怒らんかったわあ」
ひとり目、ふたり目と子育てするうちに、なんとなく(こんなもんか)とお母さんの方にも余裕が生まれる。
私も下の子には甘かったし、また、下の息子も、兄弟を見ながら学習してるからか、あまり手を煩わせることもなかった。
4人の過酷な子育てに加えて、どこで、爆発するかわからない夫のご機嫌をとる。
朝から夫が苛立たないよう、子供を公園で遊ばせていても、頭の中は晩御飯のメニューでいっぱいになっていた。
4人も子供がいるのに、夫はただの一度も寝かせつけをしたこともなければ、絵本を開くこともしなかった。
私が寝かせ付けをしている間、茶碗のひとつも洗ってはくれなかった。
子供を寝かせる前に自分自身が寝落ちして、夜中の3時頃に目が覚め、それからたまった洗いものをし、それから冷えきったお風呂に入った。
子育てはどうしてこんなに過酷なんだろう。
すり減りそうになった。
「もう少し、協力してもらえん?」
夫に絞り出すようにそう伝えると、返ってくる言葉が
「おふくろを呼んであげようか」
だった。
何も言えなくなった。
お姑は遊びに来ると確かによく手伝ってくれたが、それは一時的なこと。
「お袋を呼んであげようか」は「僕はしないよ」と言ってるのと同じだった。
お姑に夫にもっと協力してほしいことを伝えると、
「まあ、幸司は1日中仕事して帰ってきてるのよっ、1日家にいるんだからあすみさんがしなくちゃ」
子育てに光は見えなかった。
それでも、明るい子供達の笑顔に助けられたのも事実。
(頑張らないと)
(ここを乗り越えたら)
そんな気持ちの繰り返し。
夫は大企業の管理職として大事な立場。
「あすみさんがやらなくちゃ」
と言うお姑の言葉がずっと私の心に重石のようにのしかかった。
1日中、夫の晩御飯のメニューを考えるんじゃなくて、もっと子供の話し相手になってやれば良かった。
「子育てやり直したい」
と言った同僚と気持ちは同じだった。
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