続き
父が私の顔を見たのは、仕事先から帰ってきた翌日のお夕飯の時だった。
「あ~あ~台無しじゃなあ」
私は目を伏せたままご飯を食べていた。
目の前には眉間に皺を寄せて口をへの字に曲げた母の顔がある。
また、目を伏せた。
明日から学校
学校で、いじめっ子の男子は私の顔を見て、何ていうだろう。
「歯抜けばばあ」ていうだろうか・・・
私はいつも男子に負けてはいなかった。
でも、さすがにこんな歯の抜けた顔では、からかわれるに決まってる。
学校に行くのも憂鬱になった。
「え~どうしたん?」
「こけたん」
学校に行くと、みんな私の顔みて心配そうにそう言ってくれた。
クラスのちょっと、いじめっ子も
「え~痛そう」
などと、言ってくれて、からかわれると思っていたからちょっと安心した。
安心したら、つい、笑みがこぼれて、わざと歯抜けを見せて寄り目の面白い顔をして見せたら、みんな笑った。
笑われると、なぜか安心した。
(そうか・・・からかわれる前に面白いことを言って笑わせたらいいんだ)
私はとてもいいことに気がついたと感じた。
「歯はなあ、時間が経つと、だんだん両方から寄ってくるらしい 先生がそう言ってたよ」
どうやら、父は歯科医院の先生に聞きに言ったらしい。
そのときは意味がよくわからなかったが、1年もすると、両方から歯が寄ってきて抜けたところは 穴がふさがり、ぱっと見ても、歯がないことは気がつかないほどになった。
でも、噛み合わせが悪くなったのか、歯磨きが疎かだったか、虫歯か、食べるとあちこち凍みて、あちこち少し痛かった。
でも、「痛い」と言えば、また母が恐ろしい顔をして怒りそうな気がして、「痛い」とはなかなか言い出せるものではなかった。
それに、うちの家訓
『不平不満を言わない』
『辛抱する』
それから、数年が過ぎた。
虫歯は、治療しなければ、どんどん酷くなるばかり、ずっと痛さに堪えていたが、とうとう、何か噛む度に脳天まで響く痛さに堪えきれず、「歯が痛いから歯医者に行きたい」と母に伝えた。
「んっもう!」
とめんどくさそうに財布から5000円札を出した。
「本当に金喰い虫!」
(そっかあ私は金喰い虫なんだ、お金がかかってるんだ)
もらってるお小遣いは少なかったが、行ってる学校は私立、習い事はピアノくらいだったけど、これも母に交渉して、夜の茶碗を洗って100円ずつもらい、自分の月のお小遣いとあわせて月謝を持っていくようにしていた。
私なりに、家計に負担がかからないようにしていたつもり。
金喰い虫と言われたが、母はいつも最先端のファッションで、時には手絞りの着物を身に纏い、友達と、出かけたり、食事をしてたりしていた。
それよりも、やはり学費は家族の暮しに重くのしかかるものだろうか・・・。
まだ、小学校1年生くらいのときだったか、母の使う姿見の右側にある開きの戸を開けたら、いつも濃厚な匂いがして、化粧品のビンがたくさん並んでいるひとつひとつを取り出して匂いを嗅いでいたら、ひとつだけ、とてもとっても良い匂いがして、その瓶を手にとってみた。
(写真は拝借しました)
『すずろ』と瓶にあった。
洒落た瓶でとてもいい匂いがして、母がいつもいい匂いなのはこれをつけてるからだと思った。
瓶が置いてあったトレイの横に立て掛けるようにあったパンフレットを開いたら、シリーズの香水が載っていて、そこに『すずろ』もあったが、値段を見て小学1年の私はびっくり仰天した。
『すずろ ¥50000』
金銭感覚は当時よくわからなかったが、月に¥300で学用品などもまかなっていて、ほとんど何も買えなかった自分のことを思うと、
(大人は何でも買えていいなあ~)
すずろを見つけた晩に、みんなで夕飯を食べていたとき、私はお母さんの宝物を見つけた気分で
「今日、お母さんの鏡台でいいもの見つけたんよ♪
すずろっていう香水、50000円もするんよ」
と言った途端、目の前の母が恐ろしい形相で「かっ!」と怒りをあらわにした。
父がちょうどテレビで相撲の取り組みの結果を見ていた時だったので、父は気がつかなかったが、父には内緒の買い物ということだったのだろう。
母の前では、話題にしていい事、悪い事を幼いながらに忖度するようになって行った。