あすみとモラハラ夫との13000日

毒親育ち モラハラ夫 エッセイブログ

モラハラ母との写真


私は、小さい頃から、家のルールで締め付けられていた。

前にも話したけど、小学校4年生まではおこづかいは月に300円。その中から学校で使う消しゴムやノートを買わなければならなかったので、文房具は大事に使った。

5.6年生になってから、母に交渉して月に500円に、中学生では1500円。
おこづかいが少ないと、何か友達に誘われても、頭の中で、お金の計算をしたりして、「用事があるから」と断ることが多かったような気がする。

では、家族でどこかお出かけするかというと、あまりお出かけの記憶がない。

高校生くらいの時、
「ねえ、うちの家、小さい頃、どっこも行かなかったよねえ」


「なあ~ん、どれだけ連れてったと思っとるの!忘れとるだけよ!」

そう母に言われて、(そうか)と思ったが、社会人くらいになって、また聞いた。

「いっぱい連れて行ってやっても、覚えてないんじゃあ、意味がないねえ」

またそう言った。


わが夫はめんどくさがらずに、子供達を、本当によくお出かけに連れてってくれた。たぶん、夫も義母にそうされたのだ。
夏にはプールや海に。冬にはスキー場で雪遊び。
日頃から土曜、日曜になると、動物園や遊園地にお弁当を持って出かけた。

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いつも遊んでる近所の子供も家族ぐるみで、葡萄狩りやりんご狩り。
一緒に観光地へ1泊旅行も何度も出かけた。

私も童心にかえって本当に楽しかった♪

大きくなった子供達に、
「小さい頃、どこに遊びに行ったか覚えてる?」

と、尋ねてみたら、子供達は皆、それぞれ遊園地やサッカー場や、観光地の名前をあげて、それから子供同士で「あの時にあゆむくんがひっくりこけて・・・」などと、どこに遊びに行ったか聞いただけなのに、思い出したのか、口々に楽しかった思い出を喋りはじめて、収拾がつかなくなったほどだ。

(良かった~)

と、少し安心した。

私は「どれだけ連れて行ったと思ってるの!」と言った母の言葉で、思いだそうとするけど、どうやっても思い出せなかった。

アルバムでも広げれば、どこに行ったか思い出せるかと思って見てみたこともあるけど、

生まれた時の祖母に抱っこされてる写真が数枚。いきなり10ヶ月くらいの座った写真が2枚、そして次は2.3才くらいの写真になる。


海に行った写真が出てきた。

これは、父方の従兄弟のとこへ遊びに行った時だ。
すぐ近くが海で、私は黄色に小さい水玉のサッカー生地のビキニを着ている。2才くらいかな?

私はこの時のある瞬間を鮮明に覚えている。
水着の私が浮き輪を持って砂地に降りて海に行こうとした時に、私は大泣きしたのだ。

砂が焼けて熱くて歩けなかったのだ。私の泣き声で、すぐに父が抱き上げてくれて、海に浸からせてくれた。
もの凄く熱かったことが今でも記憶の底にある。


兄と一緒に写っている写真を見ると、お出かけの写真は何枚かはあった。見ればなんとなく、どこに行ったのかがわかったが・・・


それでも数える程度。

お出かけしたら写真くらい撮りそうだけど、写真は撮らなかったのかな。


25の歳になるまで私は実家で暮らしていたのに、母と2人で撮った写真が5枚しかない。

七五三や入学式、卒業式、成人式のお振り袖姿、行事はいろいろあったのに・・・結婚したときのウエディングドレス姿でさえ、一緒に撮ってない。


私は母の嫌いな父の妹にそっくりだった。
母は本当に私が嫌いだったんだと思った。


私の子供達がみんな大きくなって、それぞれ、社会人や大学生となった頃、また、私は懲りずに聞いてみた。


「ねえ、私達、子供のころ、どっこも出かけんやったよね?」

「どれだけ行ったと思ってるの!」

「どこに行ったのか、場所を具体的に言ってみてよ」

意地悪くそう続けてみた。

「・・・・・たくさん行きすぎて忘れた」

「なん、行ってないだけじゃん」

負けん気の強い母は、私に言われて面白くなかったと思うが、事実だ。

「どこも連れてってやらんかったねえ・・・」

父がぼそっとそう言った。
兄が家に戻らなくなったのは、そんなことが原因じゃない。


でも、子供が小さい頃、家の中がどんなに楽しかったかは、もうずっと大人になっても記憶は消えない。


せめて写真くらい残せば良かったものを・・・