夫にモラハラの認識は全くない。
なので、私の違った考えや意見を言ったところで、反逆したや、歯向かったと捉えられるだけ。
常に正しいのは自分で、間違っているのは私。
「おまえが俺に合わせるのっ!」
の思考は【お互い様】や相手を【尊重】するなどない。
世間で穏やかな人で通っている夫は、家という密室の中で、怒ると豹変して、恐ろしく怒鳴り散らし、意味のわからない屁理屈を畳み掛けるように吠えまくる。
頭ごなしに怒鳴りつける怒りを鎮火させるには、とにかく「ごめんね、ごめんね、はいはい、わかったわかった」
と、自分自身、何に謝っているのかわからないのに、とにかく怒りを鎮めなければ、生活が前に進まなかった。
しかも、子供が4人。
悩んだり落ち込んだりしている暇はなかった。
そんな夫は、昭和一桁生まれの舅を見て育った。
毎晩酒を飲んでは管を巻いていたと言う。
お姑はお嬢様だったので、料理をしたこともなく、舅が煮魚を食べたいと伝えると、
作り方がわからず、鱗がついたままの鯛の煮付けに舅がびっくりしたそうだ。
昔は気に入らなければ、怒鳴る蹴るの、それが亭主関白と勘違いした化石みたいな男が多かったのかも知れない。
舅もちゃぶ台をよくひっくり返して、モラハラ夫はそんな舅を見て育ったので、力による支配や、怒鳴り散らす父親の姿が夫のあるべき姿と刷り込まれてしまったのかも知れない。
それに、そんな舅でさえ、夫が不機嫌になり怒るとその怒りを鎮めるために
「あああ、お父さんが悪かった悪かった」と謝る姿を、悪いのは夫なのに、どうして舅やお姑は謝るんだろうと、私は不思議に思っていた。
小さい頃から、不機嫌になると、周りにいたおじいさん、おばあさん、沢山の大人が注意することなく、ご機嫌をとり、責任を取らせることをしなかったために、こんな自己中なモラハラ夫が出来上がってしまったんだと思う。
それは甥っ子も同じ。
会話は否定から始まり、同調しなければ、不機嫌になり、屁理屈をこね、怒鳴り出す。
不機嫌に突発的に怒り出す夫のことをお姑に相談すると、必ず
「怒らせるあすみさんが悪いわぁ」と言われた。
そんな環境の中、4人の子供達に少なからず、影響を与えてしまったことは否めない。
周りに孫を甘やかせる祖父母の存在がなかっただけでも良かったか、あんまり関係ないか。
とにかく、思い出しても身の毛がよだつ毎日の晩御飯。
出張で夫が留守の時には平和な食事風景にホッとした。
いつ、どのタイミングで、箸を投げ、怒鳴り散らすかわからなかったからだ。
夫が不機嫌にならない晩御飯とはどんな食事だろうと、朝から頭の中は晩御飯のメニューでいっぱいになった。
私は母親として、一緒に絵本を読む時間や、自然の中で草花を見つけたり、もっとそんな時間が欲しかったり、それは必要だった。
子供達は成人して、夫に違和感を感じはじめている。
でも、みんなお父さんは夫しか知らない。
今は違和感を感じたとしても、私のように
(絶対に母親みたいにはならない)と言う強い意志がなければ、同じようなモラハラ夫になりかねない。
また、私もあの母親しか知らない。
怖い事ではあるが、息子達が(あぁ夫に似ているなあ)と思うことが多々ある。
夫には何かを感じると言う情緒が欠落している。こんな事を言ったら相手が悲しい気持ちになるだろうなあと言う想像力が欠けている。
恐らくそれは前頭葉と関係している。
幼い頃見た、怒鳴り散らす恐ろしい父親に萎縮した脳のせいで、発達するべき感情を司る部分が未発達のまま大人になってしまった。意思の疎通ができない。
これが私の感じるモラハラ夫。
4人の子供達には、多くの良い人たちとの出会いよって、楽に生きる、楽しく生きる人生を選択してもらいたい。
ランキングに参加しています
応援していただけると励みになります♪