東京も大阪もコロナ感染拡大で、計画していた同窓会がどんどん遠のいていく。
緊急事態宣言が出た自粛中に、家の中の片付けで、見つけた仲間と過ごした教会の写真。
子育てに追われて過ごしてきた今、別れることを望んでいない4人の子供達のため、これから先もモラハラ夫の攻撃をかわしながら暮らして行くことになる。痴呆の義理母のこと、物で溢れた夫の実家の片付けは私ひとりには重すぎる。
今日など、普通に会話をする穏やかなモラハラ夫。
やたらと体調が「悪い」アピールをする。
腰をさすりながら、
「たぶんこの痛さは腰痛とかじゃなくて内臓系だ。もう長くないかも知れん」
そのくせ
「病院に行って見てもらったら?」
と言うと、「そんなんじゃないんだよ」と言う。
必ず否定をする。意味がわからない。
実家の片付けの後の会話なので、
「自分は体調が悪いから片付けなんてできないよ」
と、遠回しに言っているのだ。
何年か前、被災した時に、断水と決まっていち早く隣町に避難し、家族を残したままホテルステイ。
翌日には周りから言われたのか、水の1リットルケースを買って帰ってきたが、町内の皆は、ポリ容器を持って何時間も水を求めてならび、お風呂も順番を待って、自衛隊の仮風呂に入らせてもらった。
一家の大黒柱、亭主関白と言うなら、家族が困った時に活躍するのではないだろうか。
夫に手助けしてもらおうと頼むと、とても不機嫌になるのは、奥さんの位置づけが夫婦ではなく、主従関係にあるからだ。
夫は困った時や、不平不満を言えば、周りの人が何でもやってくれていたのだろう。
「ない!」と叫べば、母親が「はいここよ」と準備したのだろう。
義母にはとても助けてもらったからできる限りのことをしたいとは思うが、ひとりで片付けはとても無理。
どうしたものだろう。
北川くんから杉山くんに連絡がついたとメールがあった。
あの時、北川くんの下級生だった杉山くんも、やはり大学院まで行って、農学博士となり、国の研究所にお勤めしているのだった。
『本当になつかしいですね』から始まり、長い長い丁寧な文章で、これまでのことや、近況を知らせてくれ、『最後には必ず出席しますから決まったら教えてください』と締めくくってあった。
文面からもあの時、はじめて会った時のように、素朴で、純粋なまま・・・
ゆみ子には残念だったが、やはり結婚していて子供さんもすでに成人されている様子だった。
『あの時のままね!杉山君が幸せそうで、良かったわ』
ゆみ子がそう、メールをくれた。
みんなで会えるのはいつのことになるだろう・・・
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