あすみとモラハラ夫との卒婚生活

モラハラ夫  卒婚生活 カサンドラ

家族の幸せ


お姑さんは、モラハラ夫を製造(笑)した超本人ではあるけれど、お姑さんには、本当によくしてもらって心から感謝している。



お姑は、亡くなったお舅の身の回りの世話を甲斐甲斐しく努めたように、義姉や夫にも、何か物事に「いや!」と言われれば、すぐにその不平不満を取り除き、転ばないように、あゆむ道をきれいにしてきたのだろう。
勉強についてはとてもうるさかったと夫は言っていた。
お姑さんは8人兄弟。それぞれ兄弟は、医者だったり会社経営者だったり、立派な肩書きをもつ。お姉さんにあたる人も、みな良いところに嫁いでお金には不自由していない。

「私だけ貧乏くじ引いたわ」

お姑はそう言っていたけれど、兄弟を引き合いに出せば、おそらくそうかも知れないけれども、お姑さんは、ひどく怒ったり、癇癪を起こしたりは見たことがない。
娘の嫁ぎ先でお姑との折り合いが悪く、少し不満を漏らすことはあったけど、お姑さんは、いつも気持ちが安定していて、おおらか。実母とは大違いだ。

きっとそれは、裕福なお家で育てられ、親、兄弟に愛情をたっぷり注いでもらったからだと思う。

気持ちが豊か、これが1番の財産のように私は思う。



お姑は料理も好きじゃないし、お裁縫とかも苦手、これといって習い事などもしてなかったので、趣味といえば旅行くらいだ。

以前、兄弟がみんな若くて元気の良い時には1年に1度集まって海外旅行に行くのが通例になっていた。
私が夫と結婚してからは、毎年、夏休みにはリゾートホテル、お正月には温泉旅館に連れてってくれた。

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1度、予約して泊まったその日、暴風雨に見舞われ、ホテルの部屋から一歩も出ることができなかったことがあるが、部屋の窓から波しぶきとともに潮が満ちて、海面からのぞいていた岩場が姿を隠して行くのを、子供達とともに不思議な感覚で眺めていた。そんなことさえも良い思い出だ。


実家では家族で旅行など、1度、父の仕事のついでに行ったくらい。
本当に小さい頃には、デパートの屋上の遊園地での写真が残ってるので、何回か行ったのかも知れないが、私の記憶では、家族でのお出かけはあまりない。

中学生くらいになるまで、遊園地や動物園は学校の遠足で行くところだと信じて疑わなかったほどだ。



結婚してから連れてってもらう旅行は、最初、少しめんどくさかった。
義姉の家族も一緒で、甥っ子たちは、出かけた先でやりたい放題で、叱らないお姑や義姉にいらいらしたのが、少しストレスだった。
私達夫婦にも子供が生まれ、一緒に旅行に出かけた。
旅行代金もすべてお姑さんもちだった。


お姑さんは、すぐに夫をかばって、言いなりになったが、私が入院した時や、産後の世話も全部、義母のお世話になった。

そうして長い年月をかけて『家族』という形態を愛情をかけて作ってきたのだと思う。

『家族』を築いて行くのには、長い年月の陰に、辛抱や、思いやりや、努力やらがいるのだろう。














 

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