木曜日の10時からは江口のり子主演の
『SUPERRICH』を楽しみに見ている
江口のり子さんもいいし、町田啓太さんや赤楚衛二さんのイケメン揃いで、シナリオも面白いのに、視聴率が低迷気味だそうで、何だか残念です。
離れて行く原因は江口のり子を巡る三角関係だとか。
バリバリのキャリアウーマンが見たかったのに、年下男性との三角関係はどうでもいいという意見が多いんですって。
私はそこを含めて面白いと思ってるんですが・・・。
昨日の放送で、江口のり子扮する衛が施設に入っている祖母のお葬式で喪主を務めるシーンがありました。
祖母の祭壇には遺影と綺麗なお花で飾られてましたが、誰ひとり参列してなかったのです。
参列したのは喪主を務めた衛と、途中からやってきた赤楚君。
ガラ〜ンとしたお葬式会場が、実母のお葬式と重なってしまいました。
そして衛のセリフ
「なんや、不思議と悲しくないなあ」
正直、母が亡くなった時、私も、こんな気持ちでした。
衛は幼い頃から亡くなった祖母に暴言を吐かれていたのです。子供心にどんなに傷ついたでしょう。
私も母からよく暴言を吐かれました。
帰宅時間が冬は5時、夏は6時、テレビは7時までの30分間。歌番組は禁止。茶碗洗いのお手伝いは小6から、結婚するまで熱がでない限り、毎日私の仕事で、隣の部屋で他のみんなが、テレビを見て笑っていても、その団欒に入ることはなく、細かく家の決まり事の多い家でした。
それは躾だと思ってましたが、違っていたと気がついたのは、50歳くらいだったかも知れません。
どこの母親も、産後のお手伝いで来てくれているのに、実母は損得勘定でしか物事を測れないモラハラ人間、お金がもらえるわけじゃない産後の手伝いなんて、馬鹿らしくてできなかったんでしょう。
スーパーや病院などで、ベビーカーを押しながら母娘で仲よく喋っている様子を見る度に、私には1度もなかったなあと残念に思います。4人も子供がいたのに。
4人めの子供が産まれて2ヶ月たった時に椎間板ヘルニアの激痛で立ち上がれなくなった時には救急車で病院に運ばれました。
いったいどうなるんだろう
あの時ほど、心細く悲しい気持ちになったことはありません。
10日の入院を余儀なくされました。
入院しても、母は見舞いに来るどころか、退院した時に電話口で
「好きこのんで子供4人も産むからよっ!」
と言われて、開いた口が塞がりませんでしたね。
この時のことを私は一生忘れません。
こんな暴言を親戚にも友達にも平気で吐いていたんだと思います。
実母のお葬式には、父方の親戚、町内会長と、私の親友、慶子さんのほかには、その時、はまっていた新興宗教の人が3人しか参列しませんでした。
広いお葬式会場に、空いたパイプ椅子が何か、物哀しい感じでしたね。
江口のり子さん扮する衛が帰りの車の中で呟くんです。
「華やかなお嬢さんやったのにな」
誰ひとりお葬式に来ないなんて、どんなふうにしたらそんなことになるのでしょう。
母は裕福な商家で育ったのに、戦火で家を焼かれて、無一文になってから、学校にも行けず、生きていくために必死で、子供の頃に育まれる感情が育まれなかったのかも知れません。
母の吐いた暴言を私は忘れることはできません。赦す気持ちにもなれません。
けど、母は孫である4人の子供達のことはとても可愛いかったんだと思います。
4人の子供達も、母のことは大好きだったみたいです。
年に2.3回しか帰りませんでしたけど、いつも美味しいお料理でもてなしてくれてました。
それに年をとっても綺麗にお化粧をしてお洒落を忘れない人でしたね。
玄関にはいつもお花が飾られてました。
母は孤独だったんでしょう。
それは自分の撒いたたねだったのに、それに気がつかないところが、可哀想でなりません。
「佐藤のおばあちゃん、本当に素敵だったよね」
この前、そう話してくれた息子の言葉に
「そうやね」
生きていた頃より、今の方が母を身近に感じることに不思議な思いがしています。