安倍元総理を襲撃した山上容疑者の生い立ちがネット上を賑わせていますが、同情の声がたくさんあがっています。
読みましたが、悲惨ですね
亡くなった母も私が小学生の頃、ある宗教団体に傾倒していました。が、それは亡くなる前の宗教団体とは別の宗教でした。
面白くもないのに、2.3度連れて行かれたことがあります。
山の方にあったような記憶がありますが、母は車を運転しなかったので、たぶんタクシーで行ったんだと思います。
あまり覚えてませんが、広い畳敷きの和室にいっぱいの老人が座り教祖と言われる人の説法を聞きにきてました。
男の人もたぶんいたんだと思いますが、多くはおばあさん達で、ひしめき合うような人たち、母と前後してその集まりの中に座らされ、よくわからない、面白くない話と、おばあさんたちのどっからこんな大きな声が出るのかと関心するくらいの声で呪文のようなお経をみんなで奉ずるのです。
独特なそのお経を、私は今でも空で言えるくらい耳に残っています。
今でもこの宗教団体はあるのかなと、ググったら、今でもあるようで、そんなに評判悪い宗教団体でも無さそうでしたが、老人ばかりの所に、何時間も正座で、説法やお経を聞かされるのはほんとに苦痛でした。
「お経を聞くと心が洗われる」
そう、母は言いましたが、面白くなく退屈だったので、
「全然そう思わん」
そう正直に言ったら、「それは心根が悪いからだ」みたいなことを言われたような気がします。
「信心深くなるとそう思うようになる」とも。
今考えても、強引ですよね。
じゃあ、母が信心深く、その宗教を信仰していたかというとそうでもありません。
たぶん、高いお布施を出しても、見返りの御利益がなかったのでしょう。
いつの間にか行かなくなって、お経の冊子は埃を被ってました。
その後に、またひとつ、またひとつと
「信仰心が大切」と言いながら、別の宗教に依存してました。
よくわからない人でした。
何を望んでいたのか良くわかりません。
慈悲深い人でもありません。
私に4人目の子供が生まれて、間もなく椎間板ヘルニアで立ち上がれなくなり救急車で運ばれた時も、手伝うどころか、お見舞いにも来ませんでした。
「退院したから」
と、一応電話をした時には
「好きこのんで子供4人も生むからだわっ!」
と吐き捨てられました。
人の気持ちがわからない淋しい人でした。
大切なのはいつも自分の気持ちでしたね。
亡くなる10年くらい前に最後になる新興宗教に傾倒してましたが、その時には私はもう、結婚してましたから、影響はありませんでしたが、周り親戚や友達は振り回されたことと思います。
山上容疑者の母親は、息子が事件をおこしたことを詫びているようですが、それは宗教団体(統一教会)とは関係ないと言っているようです。
親が、新興宗教に傾倒したことで、不幸になった家族や子供達がいっぱいいます。
こんな記事を読んだのでリンクしたいと思います。
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