あすみとモラハラ夫との卒婚生活

モラハラ夫  卒婚生活 カサンドラ

手強い老人たち


私達世代は、やっと子供の仕送りが終わったと思ったら今度は、親の介護と、だいたい相場は決まっている。


以前、認知症になって変わり果てた親の話しを同僚から聞いたが、今日は更にその上を行く親御さんの話しを聞いた。


動けないのをいいことに、やれ「チャンネルをとれ」「あれしろこれしろ」と口煩く、かいつまんだ話しを聞くだけで、なんか凄まじい。

一度はショートスティに預けたが、文句が多すぎて「こんな人はとても預かれない」と、娘さんのお宅に引き戻されたと言うから、なかなか手強そうな親御さんだ。


それは認知症の影響だとは思うが、介護している娘さんが、仕事から戻ると、毎日汚れたトイレ掃除からが日課になっているという。こんなことが毎日続いたら、介護する人は参ってしまう。

ケアマネさんに相談しても、介護施設側が「こんな人はとても預かれない」と言うほどだから、打つ手がないのだろう。


以前同僚から聞いたお母さんと、どっこいどっこい。

同僚はそんな母親の変わり果てた姿を目の当たりにして、「私は癌にでもなって子供達に迷惑かけないようにサッサと死にたい」

と言っていた。

痴呆症は病気じゃないから、いつまで続くかわからないと言うのだ。

なんだか恐ろしい。


私も、また夫もそんな風にならないとも限らない。

アパートに越して来るときに、できるだけ身の回りを少なくしたが、年をとるごとに益々、あちこち身体に異常をきたし、認知機能が劣っていくだろう。


子供達に迷惑はかけたくない、そう思いながら、認知症にでもなれば誰かの手を借りなければならなくなるだろう。その時、みんな心配してくれるだろうか・・・。

義姉や夫のように、よくしてくれたお姑でも、(めんどくさ)みたいになるのだろうか。

自分の両親のことを考えてみた。

母は亡くなる5年前に、肝臓を悪くして、病院に通っていたが、亡くなる前、入院したのは、2ヶ月くらいだったか。

救急車で運ばれたと聞いても、駆けつける気にならないほど、母との溝は深かった。

不治の病と診断されてから5年の歳月の間、母は死を迎える準備をしていたのだろう。

ビニルシートのファイルには、年金の記録や、葬儀場のこと、生命保険の証書なども、きちんと収められていて、私は戸惑うことはなかった。

愛玩子として育てられた兄は家を出てから寄り付くことはなく、搾取子とされた私に今さらあれこれ頼む事もなかった。

頼んでも私がしないだろうと思ったのだろう。

近くの大学に行っていた子供が様子を見に寄ったり、帰省した夫が見に行ったり、そして容態が悪化したと聞いた時には、遠方の大学に行っていた子供達をそれぞれ呼び寄せて2回ほど、お見舞いに行っただろうか。

その度に交通費などの大きなお金が動いたが、私にできた事は孫の顔を見せるくらいのこと。

それでも今、同僚達の話しを聞きながら考えると、母は、理想の亡くなり方をしたのかも知れないと感じた。

自己中心な母ではあったが、最後まで痴呆症になることもなく、ベッドのサイドテーブルでお茶を飲む時の鉄瓶を持ってきて欲しいと、「箪笥の何番目の開きの何番目の箱」と桐箱に入った鉄瓶の場所まで、はっきりと覚えていた。


実父も、93才。

できるだけ私に迷惑をかけないようにしようと、昨年、圧迫骨折してから徐々に元気を取り戻し、少しずつ歩くようになった。

今のところ認知症も進んでないし、なんとか、毎日を過ごしている。


父には元気で長生きしてもらいたい。


そうこうしているうちに、夫や私が老いて認知症を発症するとも限らない。

元気なうちに、家の中を片付けてすっきりさせておきたい。







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