あすみとモラハラ夫との卒婚生活

モラハラ夫  卒婚生活 カサンドラ

ひとはその時どんな感情になるのか


いつも必ず読んでいるお気に入りのブログのブロガーさん、

一昨日、更新がないなあと思ってたら、実のお母様が亡くなられたことを綴っておられました。

mihomiho0109.com

 

 施設に入っておられたのですが、ベッドから落ちて大腿骨骨折で、病状が酷くなり、ごきょうだいで延命治療ではなく看とりを選択されたそうです。

駆けつけた時には号泣したとありました。

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ブロガーみいさんと私は境遇に似たところがあって、親近感をいつも感じていましたが、昨日のブログを読んで、少し羨ましく思いました。

お母様が亡くなられた時、かわいそうで、妹さんと号泣したそうです。

ブロガーさん自身は3人兄弟の真ん中で、あまり可愛がられなかったと綴っていたことがありましたが、亡くなったお母様の姿を見るなり号泣したのは、きっとお母様の愛情を感じていたからだと思います。

 

私は母が亡くなった時、とても安心したのです。変な話で、よそでは言えません。何と冷たい娘、と思われそうだからです。

母から可愛がられた記憶はありません。

赤ちゃんの時だって、母に抱っこされた写真は1枚もありません。

25になる年まで過ごした家なのに、母と一緒に写った写真を数えてみたら5枚しかありませんでした。

母のアルバムに4枚ありましたが、私がよそを向いている写真で、じぶん映りが良いものばかりでした。

 

私は母が大嫌いな小姑に顔がそっくりで、何かにつけて

「いつえにそっくり、うちの系統じゃないね」

などと言われて、自分に似た優秀な兄ばかり可愛がっていました。

父は仕事で家を空けることが多く、帰ってくると母の態度が一変して、良い母らしく振る舞うばかり。

子供心に、父に心配をかけまいと、言いたいことも言えずに辛抱ばかりしていました。

幼稚園の卒園の記念でもらったマリア様の写真に向かって毎晩、お祈りを捧げていました。

私は実の家でも、ひとり孤独な子供だったのです。

 

母には、嫌なことばかり言われました。

子供が4人も生まれて大変だったのに、産後の面倒を見てくれたのは、1人目だけでした。

過酷な子育てで椎間板ヘルニアで救急車で運ばれた時でさえ、見舞いにも来るどころか、退院した時にかけた電話で

「好きこのんで4人も子供産むからよっ!」

と吐き捨てられました。

私はこの時の言葉を忘れたことはありません。

 

お葬式の時には父も子供達も泣いていましたが、私はどうしても泣くことができませんでした。

 

もう、嫌なことを言われなくて済む。親戚や友達とのトラブルもなくなると思ったら、心底 安心したのです。

 

だから、みいさんのブログを読んで、お母様からたくさんの愛情を受けていたんだと、羨ましくなりました。

 

母はもう、この世にはいません。

でも、亡くなった今の方が、母とよく対話しているような気がしています。

アパートでは、母の写真を飾っています。

それは遺影にも使われた母一番お気に入りの写真です。

 

大学生の息子がアパートに来た時、母の写真を見るなり「わあ~おばあちゃん、ほんと、綺麗」

と言いました。

私と母は最後まで理解しあうことはありませんでしたが、4人の子供達のことは可愛がってくれました。

 

たぶん、亡くなった今も、4人の子供のことをとても気にかけてくれているような気がします。

毎朝、お湯のみ一杯のお水をあげて、父と子供達のことをお祈りしています。

 

 

 

 

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