いつも必ず読んでいるお気に入りのブログのブロガーさん、
一昨日、更新がないなあと思ってたら、実のお母様が亡くなられたことを綴っておられました。
施設に入っておられたのですが、ベッドから落ちて大腿骨骨折で、病状が酷くなり、ごきょうだいで延命治療ではなく看とりを選択されたそうです。
駆けつけた時には号泣したとありました。
ブロガーみいさんと私は境遇に似たところがあって、親近感をいつも感じていましたが、昨日のブログを読んで、少し羨ましく思いました。
お母様が亡くなられた時、かわいそうで、妹さんと号泣したそうです。
ブロガーさん自身は3人兄弟の真ん中で、あまり可愛がられなかったと綴っていたことがありましたが、亡くなったお母様の姿を見るなり号泣したのは、きっとお母様の愛情を感じていたからだと思います。
私は母が亡くなった時、とても安心したのです。変な話で、よそでは言えません。何と冷たい娘、と思われそうだからです。
母から可愛がられた記憶はありません。
赤ちゃんの時だって、母に抱っこされた写真は1枚もありません。
25になる年まで過ごした家なのに、母と一緒に写った写真を数えてみたら5枚しかありませんでした。
母のアルバムに4枚ありましたが、私がよそを向いている写真で、じぶん映りが良いものばかりでした。
私は母が大嫌いな小姑に顔がそっくりで、何かにつけて
「いつえにそっくり、うちの系統じゃないね」
などと言われて、自分に似た優秀な兄ばかり可愛がっていました。
父は仕事で家を空けることが多く、帰ってくると母の態度が一変して、良い母らしく振る舞うばかり。
子供心に、父に心配をかけまいと、言いたいことも言えずに辛抱ばかりしていました。
幼稚園の卒園の記念でもらったマリア様の写真に向かって毎晩、お祈りを捧げていました。
私は実の家でも、ひとり孤独な子供だったのです。
母には、嫌なことばかり言われました。
子供が4人も生まれて大変だったのに、産後の面倒を見てくれたのは、1人目だけでした。
過酷な子育てで椎間板ヘルニアで救急車で運ばれた時でさえ、見舞いにも来るどころか、退院した時にかけた電話で
「好きこのんで4人も子供産むからよっ!」
と吐き捨てられました。
私はこの時の言葉を忘れたことはありません。
お葬式の時には父も子供達も泣いていましたが、私はどうしても泣くことができませんでした。
もう、嫌なことを言われなくて済む。親戚や友達とのトラブルもなくなると思ったら、心底 安心したのです。
だから、みいさんのブログを読んで、お母様からたくさんの愛情を受けていたんだと、羨ましくなりました。
母はもう、この世にはいません。
でも、亡くなった今の方が、母とよく対話しているような気がしています。
アパートでは、母の写真を飾っています。
それは遺影にも使われた母一番お気に入りの写真です。
大学生の息子がアパートに来た時、母の写真を見るなり「わあ~おばあちゃん、ほんと、綺麗」
と言いました。
私と母は最後まで理解しあうことはありませんでしたが、4人の子供達のことは可愛がってくれました。
たぶん、亡くなった今も、4人の子供のことをとても気にかけてくれているような気がします。
毎朝、お湯のみ一杯のお水をあげて、父と子供達のことをお祈りしています。