あすみとモラハラ夫との卒婚生活

モラハラ夫  卒婚生活 カサンドラ

生かされていることに感謝


父が圧迫骨折になってから1ヶ月過ぎ、外出はまだ4.5回程度。
なかなか買い物までは行かなさそうですが、マンションの中はなんとか普通に歩けるようになりました。

一時はどうなることかと心配しました。

毎日、晩御飯を届けています。
モラハラ夫と違って何でも「うまいなあ」と食べてくれて・・・。

父のマンションに行ったら必ずチェックすることをあげてみます。

◎ガラ系の充電
◎カレンダーの今日の日付にレ点が入ってるか
◎バスルームの換気
◎お薬カレンダー(きちんと薬を飲んでいるか)
◎冷蔵庫の中身(何がなくなっているか)
◎母の仏壇
◎エアコンがついているかどうか

昭和一桁の父なので、エアコンが勿体なくてすぐに消すのです。
母がこれをすごく嫌がってました。
今は昔の暑さと違い、部屋の中で熱中症になり救急搬送される老人が続出していますから、エアコンは必ずつけておかなければなりません。
すぐに消すので、リモコンを隠しています。

カレンダーのレ点は、父が毎日続けていることで、お薬カレンダーの薬と同様、認知が入ったかどうかの目安にしています。

一時期、何も食べない時があったので、冷蔵庫の中身をチェックし、何が減っているのか把握するようになりました。
昔から粗食で、腹八分目、お酒も飲まず、煙草もすいません。
生前の母からもらう僅かなおこづかいだけで、それは父の人間関係をも狭める結果になってしまったのではないかと思います。
母じゃなく、別の女性だったら、長男も縁を切ることなく、豊かな人生だったんじゃないかと思ったりしますが、それは私が思うことで、苦労した父は、幸せと思っているでしょう。


昨日は広島に原爆が落ちた日。
メディアで取り上げていました。
あれから半世紀以上過ぎ、テレビではオリンピック放送。
戦争の風化は否めません。

そんなニュースを見ていた時に、父が口を開きました。
父は大将になりたかったのだそうです。
戦争中ですからね、子供達は、軍のトップになることが1番の目標になっていたんだと思います。
そんな父がまだ若い時、海軍工廠の下っぱで、打った後の大砲の油を抜く作業を任されていたそうです。
いつ、砲撃されるかわからない、まだ若いこれからという青年が死と隣合わせの作業に、海軍工廠の偉い人は、父がさぼって遊んでいても、大目に見て、何も言わなかったそうです。

明日、この世からいなくなるかも知れない青年、好きなようにさせたらいいと思ったのでしょう。


たまたまその日は日番で、山の上の宿舎にいたそうです。
そうすると、敵陣の部隊がやってきて空から砲撃を始め、いつも父がいた大砲も爆撃されたそうです。
味方の部隊はいち早く防空豪に逃げました。
その頃は防空豪に逃げたら助かると思われていたのでしょう、父のことを大目に見てくれていた偉い人もみな、防空豪に逃げたそうです。
そこへ、敵軍が砲撃。
防空豪は、砲撃された時に土で塞がれ、逃げた人は帰らぬ人となったそうです。
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「たまたま、日番だっただけで、わしは生きのびたんよなあ・・・」

戦争中のこと。
何度か『あの時死んでいたかも』ということがあったそうです。
それでも今、92歳で生きている父は、
「生かされている」と言います。

父がこの年まで元気でいることは、まだこの世での使命が残っているからかも知れません。

それは、私のためかも知れないし、子供達のためかも知れません。

父にいらない心配をかけないように笑顔でいるよう心がけたいと思います。




父に買ってあげた椅子。
360度回転して立ち上がる時も楽だそうです
背もたれもちょうどいいそうです。
腰痛に悩んでいる方に